身体の「層」

最近の身心に対しての気付きは、「層」を感じるようになった事。




この「層」は1層2層とかの層。山の発掘調査での何万年前の貝が出たりするあの地層のような感じだ。しかし、感覚的には地層の様に硬いものではなく、どちらかというと膜に近い感じのもの。ミルフィーユ的な。なら膜でいいじゃないかと思われるが、そうなると柔らかすぎる感じでしっくりこない。




この「層」の感覚を辿っていくと、武術の身体技法の皮膚の感覚から来ているような気がする。皮膚の感覚については今年の2月くらいから出てきて、相手と自分の遊びを瞬時に取ってくれる役割がある事に気が付いた。馴染むような。そこから本厚木の稽古場で、肘を浮かせた状態での腕相撲や、正坐で胸の辺りを手で押してもらって前に崩す動き等々で検証したりしていた。だんだんと身体に感覚が馴染んできて、皮膚って偉大だなと思っているうちにまた次の感覚への旅が始まっていた。今考えると皮膚も立派な「層」。1番外に出ている「層」だから気付きやすかったのかもしれない。



それと並行して、瑜伽(ヨガ)のアーサナをどういうスタンスでやったら良いかなと皮膚の感じを使ったり工夫していた。そんな中で鎌倉のお寺に行って坐禅をした時に、体が馴染んで行くのを感じた。結跏趺坐という少し難しい坐り方をしていた時に、痛くなりやすい脛の辺りが腿の内側に馴染んでいったのだ。間もなく、手も腿に馴染んで、地面に接地している部分は地面の馴染んで、背中は骨盤周りに馴染んで、首や頭は胴体に馴染んできた。これはヨガのシャバアーサナの感覚に近いと思い、そのまま坐っていた。


シャバアーサナとはヨガの最後に行うポーズで(私の場合は途中途中挟む事もある)、動きで緊張(統一)させた心身を弛緩(放下)させて行くポーズ。体全身の力を抜いてリラックスしていくので、徐々に体の感覚が遠のいていく。意識はポカーンとしてただ見つめていく。そんなシャバアーサナの感覚と坐禅で坐った時の感覚が近かったのだ。シャバアーサナは仰向けで寝ているので、身体的な負荷があまりない。対して坐禅は「坐」の感覚がないと組んでいる足が痛くなり、その痛みに囚われやすい。その点シャバアーサナは痛みのような身体的な囚われは少ないが、寝落ちしやすい(笑)。もちろん疲れていたり、無理に起きてよう!という意識でいるくらいならそのまま寝てしまっても構わないが(一説にはシャバアーサナ数分で、数時間の睡眠効果があると言われる)。それぞれ今自分に合ったものをやればいいと思う。


話が少し逸れてしまったような気がするが、その坐禅の時の馴染みの感覚もまた、「層」の感覚に繋がっているように思う。この馴染みは皮膚からもう少し深い部分の層を感じさせてくれた。その後の稽古で、相手に触れる時に水の球体をポワンと触れる感覚があるのに気付き、それが坐禅の時の馴染みの層かもしれないと腑に落ちた。この感覚が出てきてからは、以前よりも手の内や手の感触、触れる所の柔らかさの質が変わってきた。今の層はここまでだが、もっと深い部分の層があるような気がする。この辺は更なる身体の旅をして出会いたいと思う。体の芯まで層を感じられたらまた面白そうだ。