自分が観る自分、他人が観る自分

自分が観ている自分と他人が観ている自分って違いますね。これは当然の事かもしれないけど、なかなか自覚してる人って少ないんじゃないかなって思います。



私自身の事について言えば、武術の師匠と出会ってからは努力という概念が殆ど無くなった。だから稽古してても「これだけ稽古したんだから!」と思う事もなく、いつも「まだまだだなぁ」と心底思っていた。


ある時に師匠の元で稽古している時に、師匠から動きについての意見を求められて自然と「素人目ですが」と言ったら「あなたはもう素人ではないでしょう」と突っ込まれた(笑)


ハッとさせられた。


自分はいつまでも「素人」として稽古していたんだなと。


この時に何か大事なものを置いてきてしまった気がして、何だか物悲しくなったのを覚えている。


今の自分に満足しなくても、認めてはあげないと暗い水の中にいる感覚になる。


満足してしまったら、それ以上先へは進めない。

かといって認めてあげなければ、自己否定や自己嫌悪となる、気がする。


武術やヨガを通じて自分自身を見つめるようになり、そんな事に気付いた。


自分は自分の事を、トコトン認めていなかったんだなと。骨の髄まで(笑)


それが周りから見ればものすごいストイックに見えたのだろう。一回やりだすと止まらない(笑)でも自分では心底全然やっていないと思っている。そこで自分が見る自分と他人が観る自分に齟齬が生じる。


「すごい練習してたね」
「全然してないよ」
「うそ」


この全然してないよは謙遜ではなく、本当に心の底から出てきているものだから気付かなかった。


今は徐々にだけれど、自分を認めていっている。受け入れているの方が適切かな。うーん、そこはよく分からないけど、とりあえずはそんな感じです。



そこんところを意識して、自覚して活動して行きたいなと、それが言いたかっただけです。


秋は比較的冷静に、自分を見つめるいい機会かもしれませんね!