個人稽古/ワークショップの依頼について個人稽古、ワークショップも承っております。■個人稽古90分~/15000円〜交通費、会場費別途、会場はご用意下さい。■団体、法人向け2時間~/50000円〜交通費、会場費別途、内容や遠方により価格は変わります。詳細はお気軽にご相談下さい。2025.02.05 09:41
ブログはnoteに更新しています諸事情によりこちらにブログを更新していくのが難しくなった為、今後はnoteに更新していきます。以下のリンクからご覧になれますので、よろしくお願いします。https://note.com/tabikara2025.01.31 03:46
布薩の効用鎌倉にある円覚寺の横田南嶺老師とご縁を賜って1年が経ちました。ある日の事、突然個人指導の依頼メールが来てとてもとても吃驚した事を覚えています。その少し前に横田老師は私の師匠である甲野善紀先生の講座を受講されたとの事でした。その中で甲野先生が私を推薦して下さり横田老師が興味を持ち、ご連絡を頂いたという流れです。それから月に一度、円覚寺へ個人指導へお伺いしています。もともと円覚寺には何度か足を運んでいて、一度だけですが座禅会にも参加させて頂きました。思えば10代の頃から仏教に触れ、20代でヨガに出会いここからも仏教に触れ(ヨガと仏教は繋がりが深い)、そして30代でまた仏教とご縁があり、私の人生にはいつも仏教があったなと感じます。そして、その考え方や捉え方に助けられ活かされているのは紛れもない事実です。人は死んだらどうなるのかというのは、誰しも考えた事があるのではないでしょうか。私も人が死んで生まれ変わるとして、その生まれ変わった後に死んでまた生まれ変わり、また死んで…その先にはどうなっているのか。また宇宙が始まる前は?宇宙の終わりは?と子供の頃に考えて怖くて寝られない日々があった事をよく覚えております。そんな時に仏教の考え方や捉え方を学び、そう言った不安から解消されていきました。私と仏教にはそうしたご縁があります。今年から横田老師の布薩の会に参加させて頂く機会が何度かありました。布薩については横田老師の管長日記をご覧頂くと分かりやすいと思います。私も少し登場しています笑。https://www.engakuji.or.jp/blog/38118/ネットで調べると布薩は戒を再確認し、自身の日常生活に照らし合わせ反省や懺悔を行う儀式と出ています。円覚寺の布薩は更に五体投地という礼拝も行います。20代に入りヨガを学び、ヨガにも八支則(はっしそく)という教えがあります。そのはじめにヤマ、ニヤマというものがあり、ヤマとは禁戒、ニヤマとは勧戒という意味で、一般的にはしてはいけない事、するといい事と言われます。やはり戒を説いています。20代の頃は身体が整ってくる事がヨガの何よりの恩恵でしたので、あまりヤマ、ニヤマについては触れてきませんでした。30代も知識として知っていたという具合でしょうか。それが布薩に参加して改めてヨガのヤマ、ニヤマに着目する事ができるようになりました。ヨガでは段階的にヤマ、ニヤマを抑えてその次にアーサナ(ポーズ)やプラーマヤーナ(呼吸法)の段階に入ります。アーサナやプラーナヤーマの前にヤマ、ニヤマが入ってくる事の重要性を今になって体感として分かってきたのです。横田老師の布薩は私の感覚ではヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーマヤーナを同時に行なっている感覚です。禁戒、勧戒を唱え呼吸を長くして発声し、五体投地をする。とても良くできていて、素晴らしいなぁと布薩に参加する度に思います。やはりああいう整った場で、皆で一つの事を専心して行うと身心がリセットされる感覚があります。物事をうまく進めている人は切り替えが上手いと言いますが、切り替えができない時ほどあえて時間を作ってこういった事をする事が大事だと感じます。前にボディーワーカーの方と話している時に、武術をやっている方はスタッカートが上手いという話をされていました。この時のスタッカートの意味は、相手と自分のそれまでを切ってしまうという意味合いで受け取りましたが、確かに武術的な動きではある面今の延長を切ってしまう事があります。それはある面、余計な思考の介入を防ぐためのものでもあると思います。この話になると1つ記事が書けてしまいますのでこの辺りにしますが、やはり日々の生活もどこかで見直す為に区切るという事は重要です。その為に布薩は身心ともにリセットするとても良い方法なのだと実感しました。生まれ変わると表現してもいいと思います。あらためて横田老師のとご縁のあった事に感謝です。円覚寺の布薩に関してはこちらをご覧下さい。https://engakuji.peatix.comチケットは人気アーティストのライブチケット並みに取るのが難しいです。その月の布薩の1日か2日後にチケット情報が出ますので、気になる方は要チェックです。2024.09.16 10:43
10/29 京都ワークショップのご案内昨年好評を頂いた京都でのワークショップ、今年もやります!以下、主催の梶川さんの紹介文と詳細です。滅多にない機会ですので、ご興味ある方がいらっしゃいましたら是非ご参加ください!⁂⁂井上欣也先生による身体術ワークショップin京都 二部制⁂⁂地に足をつけるってどういうかんじだろうか?「どっこいしょ」と声をかけずに立ち上がることはできないかな?いつも動き出すときはなんとなく「反動」を使っている気がする…中身の量に関わらず、カバンがいつも重い気がする…「わたしの身体」との付き合い方を考えてみませんか?いや、考えるというよりは、身体に聞いてみる、という感じかもしれません。神奈川県を中心に、「旅する身体」を主宰しておられる井上欣也先生が京都にお越しになります。そのチャンスをつかまえて、講習会を開催してもらうことになりました!聞いてみたとおりにやってみる。動いてみて、感じる。動いてみて、驚く!そんな時間を一緒に過ごしましょう。【井上欣也先生による身体術ワークショップin京都 二部制 】第一部 ①18:15-19:15武術の動きから身体の使い方を見直す〜日常の動きを無理なく無駄なく心地よく〜立つ、座る、歩く、荷物を持つなど日常の動きを見直します。当たり前の動作ですが、無駄に力が入っていたり緊張が強ければ、それだけ部分的な負担も強く疲れやすい身体になってしまいます。そんな当たり前の動作を見直し日常の動きの質を高めていけば、身体に対する信頼も増して動く事が愉しくなってきます。第二部 ②19:25-20:25身体感覚を育む〜捉え方、関係性から観る身体〜関係性や捉え方が変わると途端に身体は活き活きとしてきます。例えば、物は持つと重いが支えると軽い、姿勢は良くしようとすると弱いが重力と仲良くすると強い、など同じ身体でも捉え方や関係性を見直すことで全く違うものになります。この時に大切なのが身体感覚です。イメージとは違いありありと感じる事で身体に臨場感が生まれます。捉え方や関係性を見直して、身体の新たな一面を垣間見てみませんか?[講習費] どちらか1部のみ 4000円 2部連続参加 7000円・当日現金でお支払い下さい。・なるべくお釣りが出ないようお願いします。[持ち物]飲み物、動きやすい格好[会場] 京都トコ会館https://www.tocokaikan.com/access京都市営地下鉄「丸太町駅」徒歩5分[申し込み]こちらのフォームからどうぞhttps://forms.gle/D2F5nc9JEtkVhoQR8 [講師プロフィール]井上欣也身体探究者/松聲館技法研究員1986年生まれ。 生まれも育ちも神奈川県。 2007年から武術研究者の甲野善紀先生の講座や稽古に参加。武術や身体技法、身体の使い方を学び、甲野先生のアシスタントなども務める。また、ヨガや施術なども学び身体探究を深め、独自の身体の動きを研究。以後、神奈川を中心に各地で稽古会や講習会を開催している。 一般の方々、スポーツ、武術愛好者から柔術や運動指導者、僧侶、教育者、料理家、音楽家まで様々な業種や幅広い年代に身体が持つ不思議さ、可能性、愉しさを伝える活動をしている。 Facebookページhttps://www.facebook.com/tabisurukarada.k.iホームページhttps://tabisurukarada.amebaownd.com2024.09.07 03:20
揺らぎからの展開大きく気付く事があったのでここに記しておく。事の始めは6/26のときわ台稽古会。なんとなく「揺らぎ」をテーマに稽古してみようと思って始めてみる。揺らぎを作ると身体の居着きがなくなり、柔軟な対応ができるような事から稽古が進んでいったと思う。ある瞬間の時に、これは持たれている手は一切動かさないようにして揺らぎを伝えたら結構いけるんじゃないかと思い試してみると、想像以上に相手が振り回されてこちらが驚いた。いつものように良い動きが生まれるとやっている実感がない。色々と試した結果、この時は腕と体感部がうまく分離しているおかげで繋がりが生まれた事がよく分かった。普通は繋がりだと思っていても、いざ動いてみるとお互いの足を引っ張り合うただの癒着だったりする。何年か前にこの事に気付き、「自立」の稽古をよくしていた。「自立」の稽古とは関節ごとを一つのパーツとし、そのパーツを独立させて動かすというものだ。手首なら手首、前腕なら前腕、上腕なら上腕といった具合にそれぞれを動かす。この自立があるから始めて繋がりが生まれるのだと、何年か前の記事にも書いたと思う。話が逸れてしまったが、揺らぎの余韻を感じながら過ごし、今日は海老名での研究稽古会。こちらでは、私の稽古会に3回以上参加された方のみを対象としていて、伝えるというよりも共に研究稽古するといったスタンスの場所である。参加される方も常連で体が練られている方なので、存分に稽古しやすい。早速いつものメンバーに最新の気付きを体験してもらうと「今までと全然違いますね!」と驚いてもらえた。そして、いきなりやられると怪我します笑、と全く力の出どころが違うようでこちらもビックリしていた。今回の研究稽古で分かったのは、接触面は先(せん)の動きで入り、後は肚の揺らぎを使う(左右の上前腸骨棘を分けて使うほうが読めないらしい)という至ってシンプルなもの。もっと簡単に言ってしまえば、肚から動く。よく巷でも言われている事だが、実感するまでに実に多くの紆余曲折があった。それはそれで面白いのだが、今回の気付きは更に面白く、今までとハッキリと違う質のものだった。言葉は限られているので、同じ言葉を使うか違う言葉を組み合わせて伝えて行くしかない。言葉一つの中にどれだけの実感と経験が入っているのか、それを想うとやはり古の人の体の豊かさを考えさせられる。兎にも角にも身体というものはまだまだ知らない事だらけだ。2024.07.05 14:31
甲野先生からの推薦文師匠である甲野善紀先生から推薦文を頂きました。以前にも推薦文を頂いたのですが、今回は横顔と題して先生に書いて頂きました。恐縮ですが、さらに感覚を深めてご縁のある方にお伝えできるよう精進していきたいと思います。————————————————————井上欣也氏の横顔以前、この井上欣也氏の推薦文を書いたが、あの時からもう8年ほど経った。現在でも井上氏には時折講座のアシスタント等で来てもらっていて、その折に研究稽古を行なっているが、私の予想通りというか、予想以上というか、その技の進展ぶりには感じ入る。とにかく井上氏自身の中に起こる気付きの追求が少しも歩みを止めることがなく続いているからである。ここまで来れば、もう特に何をしようと思わなくても技と術理の追求は自動的に続いて行くことだろう。昨年、私が鎌倉の円覚寺の横田南嶺管長と御縁が出来た折、若手の指導者として、この井上欣也氏と私の長男の甲野陽紀を推薦しておいたところ、横田管長はこの二人の実力を率直に認められ、その後も円覚寺で指導させていただいているようだ。最近の井上氏の技の追求の特色として自身の感覚を深く省みるところがあるようだが、このような感覚を育てていけば、将来井上氏に接する人達の中から様々なジャンルで優れた研究を行なう人物が出てくると思われる。私も研究稽古の相手としては、私の技が井上氏には簡単には通らなくなってきていることで、非常に刺激を受けている。今後ますます研究を進展させ、さらに深い世界を拓いていっていただきたいと心から願っている。2024年5月甲野善紀————————————————————2024.05.21 10:57
旅する身体とは身体感覚を育てる場。身体感覚を育む事で、身体を嫌な対象から好奇心の対象へ。身体というのは一番身近にあるにも関わらず、その存在は遠く感じている人が多いように思います。どこか他人事。まるで頭で体を管理しているような。周りを見ると、「毎日の健康の為の運動」、「一日〇回するだけで体が変わる」など耳当たりの良い言葉を聞く事がよくあります。健康の為に意識を変えて何かに取り組む事はとても大事です。しかし、それでは身体が嫌な対象という根本的な部分は変わりません。裏を返せば不健康になるから身体を管理して健康を維持していないといけない。そうなってしまうと身体という存在は積極性を失い、常に受け身となってしまいます。子供の頃の学校の勉強を例にとると、つまらない授業の内容は大体覚えていないと思います。「身に付いて」いない訳です。楽しい出来事はどうでしょうか。印象深く「身に付き」やすいです。身体にも似たような事が起きています。受け身の場合、心から身体へ「やれ!」と鞭打ってやっと動き出します。好奇心がある場合、やりたい!と心も身体も喜んでいるのが分かります。身体感覚とは、正しいかではなく、自分に合っているかを見つめてゆくものだと思います。例えば、手を上げる動作一つとっても奥が深いです。普通、手はバンザイのように上げるでしょと思われるかもしれませんが、実は色々な上げ方があります。バンザイは肩のあたりに力が入りやすいですが、上げ方を少し変えるだけで背中から手を上げているような感覚になります。こうすると、肩のあたりの力みが抜けてきます。このような身体が喜ぶ上げ方などをキッカケに身体に好奇心をもち、身体感覚を育む場作りをしています。2024.04.25 02:00
オブラートとブッダの伝記今日は円覚寺での稽古。昨年の暮れに、管長である横田南嶺老師に『オブラートを一枚挟む感覚』をお伝えしたところ、新年のご挨拶のメールで次のような感想を頂いた。————————————————オブラート1枚を挟む感覚を教わって驚くほどの変化がありました。習っていた時には、なんとなく、こんなものかなという感じだったのですが、終わって境内を歩くときの足の感覚がまず違っていました。ブッダの伝記に、ブッダはガンジス川の水面をあたかも陸のように歩いたという記述があるのですが、そんな感覚です。なにか地面の抵抗もなく、すーっとすべるように軽く歩けるのです。また部屋で杖を持って復習しようとすると、杖の重さを全く感じません。全く自分の手となったような感じなのでした。これは驚きでありました。以来、手を合わせても、オブラート1枚を挟む感覚を意識し、時には壁に手をはわせながら、オブラート1枚を挟む感覚を意識するようにしています。手のひらをそのように意識するだけで、身体全体が変化するのを感じています。いつも年末年始は、行事が多く、くたくたヘトヘトになっているのですが、今年は何故か身体が軽やかな状態が続いているのです。この接触の感覚はすごいと実感しています。坐禅の時の手の組み方もオブラート1枚を挟む感覚を持つと、それで身体全体が調うのであります。誰に対してもこれだけ鮮明に伝わるのかどうかは分かりませんが〜中略〜これは六十年の人生で特筆するほどの変化であります。———————————————-今日直接お会いしてお話を聞いていると、「階段を登る時も掌にオブラートの感覚が入ると全然違います。息切れなくスイスイ登れます。」と更に新たな体験談も話して下さった。老師の感想にもあるように、習った時はこんなものかなと思っていると、後に動いてみてかなり違うというのはたまにある事だ。これは、頭で理解するより身体はすでに分かっている良い例で、老師ともやはり身体は賢いですねと話をした。感覚から入る面白さは余白がある事。知識で入るといつの間にか知識そのものに縛られてしまい、余白もない、もしくは見えない。余白があれば、考える余地が生まれる。考える余地から、感覚を表現し身体言語が生まれる。という訳で余白を愉しむような稽古をしていきたいなと思う。老師との御縁に心から感謝しております。新刊もご恵贈頂き、重ねて御礼を申し上げます。般若心経は初めて暗誦できるようになったお経なので、これから読むのが楽しみです。※感想はあくまで個人の感想です。※横田南嶺老師に掲載許可を頂いています。2024.01.26 00:39
身体を丹念に動かす会身体を丹念に動かす会〜前提としての身体を育む〜今年から長年温めていた企画を少しずつやって行きたいと思います。◾️そもそもの身体=前提としての身体今までお会いしてきた方の中で、一般の方はもちろん、スポーツや身体に関する専門的なお仕事をされている方の怪我や痛みを聞く事がありました。怪我の原因は一部分に負荷がかかり過ぎるような身体の使い方であったり、普段の癖であったり様々です。そうなると、身体を動かすのが億劫になってしまったり、身体を嫌忌の対象としてしまう事もあります。怪我や不調が今の動きの延長線上からきているから仕方がない、ではなくもっとよく丁寧に観察してみたり観点を変えてみる必要性があると強く感じました。根本から変えていく。「前提としての身体」を育むとは、そもそも身体はどんなふうに動くのか、どんな特性があるのか、どんな感覚で動いているのかなどを捉え直す事だと考えています。そういった部分を丁寧に観察してみる事で、今までの動きの問題点や違和感に気付けるようになってきます。つまり、感覚を育んでいく事です。◾️丹念に動かす身体というのは瞬間的に変わる側面と、地道に育む側面の一見矛盾した二面性を持っています。普段の武術的身体を育む稽古では、どちらかというと瞬間的に変わる側面がフォーカスされやすいです。しかし、瞬間的に変わるものは瞬間的に戻ってしまうのもまた事実ですので、こちらも結局は普段の意識や感覚の向け方が大切になってきます。今回は後者である地道に育む側面の方にフォーカスを当てて、身体を丹念に動かす事を試みていきます。丹念に動かす事で、さまざまな場面でも汎用性が高い「前提としての身体」が育まれます。◾️二つのポイントこの会では、特に二つのポイントに着目します。一、身体を嫌忌から好奇の対象へ二、身体の事を知り、感覚を育て、依存から自立の身体を育む一については、身体というのは一般的には〇〇しなければ健康に悪いなどと受け身の方向で捉えられる事が多いような気がします。そういった嫌忌から派生するのではなく、こうしたら動きが変わって面白いな、この辺りの固まりの因果関係はこうなのかなと好奇から派生して身体を観ていくと、身体との関係性が一変します。二については、身体の漠然とした不調や力み、硬さなどが出た場合、すぐに周りに頼る依存ではなく、極力自身で身体と対話をしながら調整ができる自立の身体を育む事です。それには、身体を知り、違和感を感じ取り、感覚を育んでいく事が重要だと感じています。つまり、日常でも出来る限り自分でケアや調整を行えるようになり、感覚を育む事で身体との関係性を見直す、というのが目的です。◾️主な内容〜前半〜股関節や背骨、肩甲骨などの可動域を広げ余計な緊張を取ります。ここでは、ヨガの動きをベースにして一人一人の身体の個性を丁寧に観ていきます。静的なアプローチです。〜後半〜動物的な動きや壁を使って力の流れや伝わり方を丁寧に観ます。前半を受けられた方が感覚の変化が分かりやすいです。こちらは動的なアプローチです。どちらかの単発参加も可能です。◾️詳細◻︎日時:2/26(月) 前半:10:10-11:20後半:11:30-12:40◻︎場所:海老名市文化会館251和室※場所は借りているだけですので、問い合わせはしないで下さい。◻︎参加費前半:3000円後半:3000円連続参加:5000円※参加費は今後変動する可能性がありますので、気になる方はこの機会の参加をお勧めします。◻︎定員:4名※お一人お一人の身体の感覚を丁寧に観て行きますので、今のところ定員は4名となります。次回以降変わる可能性があります。◻︎お申し込みDMまたは、tabisurukarada@gmail.com まで。2024.01.24 00:53
2024年 新年のご挨拶新年明けましておめでとうございます。元旦に起きました地震に被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。本年はより活動的に邁進していく所存ですので、皆様のお力をお借りする場面もあるかと思いますが、その時はご指導ご鞭撻をお願い致します。龍は雨と関連していると言われているせいか今日は雨。毎年2日は決まって天気が良いのですが、これも辰年との関係を感じてしまいます。そして、ひょんな事から毎年の行事を見直す事になり、これも断つ、そして立つ(辰年なだけに)キッカケを下さったのだなと感慨深い気持ちになりました。そんなこんなで今年1年はなにやらいつもとは違った年になりそうな予感がしています。という訳で本年もよろしくお願い申し上げます。2024.01.02 07:12
2023年仕事納め本日の円覚寺での稽古で仕事納めとなりました。1年の締め括りをこのような場でできた事はとても有り難いです。今年最後の老師との稽古は、12/6に気付いたオブラート1枚を挟む感覚(仮称)をお伝えした所、それを是非!と言うところから始まりました。この感覚は、10月頃から言っていた「待つ」事の重要性を認識していなければ無かったかも知れません。老師に技を受けて頂き、色々と納得して頂いた…と思います。なにやら禅でも、法界定印を結ぶ時に親指と親指の間に紙を1枚挟むようにとの口伝があるそうですし、芸事の大家の方も正座の時に半紙を挟むようにと仰っていたそうで、比べるのは恐れ多いですが変な方向には行っていないなと少し安心しました。また、前回お話しして体験してもらった腰椎5番で坐る感覚はかなり良いですとご報告頂き、紙風船で纏まる感覚も他でやってみて中々の評判でしたとの事でした。実践されている方からの感想は何よりも励みになり説得力があります。本日もありがとうございました。そして今年1年も様々な方とご縁ができました。このような生き方ができるのはご縁ありきだと思います。今年新たにご縁が繋がった方、今年もご縁が続いている方、ご縁が切れてしまった方、本当にありがとうございました。来年は少し色を変えてやってみたい事もありますので、そちらもご興味ある方がいらっしゃれば積極的に参加して頂ければと思います。それでは心穏やかな年末年始をお過ごし下さい。2023.12.28 09:24