感覚を追ってしまう事について


何かが上手くいった時の感覚は、誰もが大事にしたい感覚だと思います。仕事が驚くほどスムーズにできた日や、何の力感もなくキャベツの千切りが出来た時や、カラオケで自分でも不思議なくらい声が出てた時とか。


しかしこれが曲者。この感じで〜、とまたそれを再現しようとすると、あれ??かえって上手くいかなかったり、中々その上手くいった時のようにはなりません。あの時のようにいい感じになりたい!と思うのが人情というものですが。


武術でいうとそれは居着く事になり、ヨガでは執着という事になると思います。武術で居着いていたらやられてしまいますし、ヨガでは雑念が浮かぶという事でしょうか。あくまでも個人的な意見ですが。


上手くいった時って身体が半分自然に動いているような感覚で、どちらかというと頭でこうしてと考えてはいないと思います。よく分からないけどできちゃった。そんなふうだと思います。これに対して、上手くいった時の感覚をまたやろうとすると、頭で考えながらやっている事が多いように感じます。かくいう私もそうです。いい感じを追っかけてしまっていますね。


でも、起きている事は今現在です。前から歩いてきた人とぶつかりそうになった時に、じゃあ左に行って避けようかな、と考えている間に相手とぶつかってしまいます。思考が入ると居着いてしまう訳です。だから、よくお見合いのようになってしまいます。これは日本人特有ですかね。追っかけて考えてる時にはもう居着います。


その時その時の感覚を覚えておいたりする事は大事ですが、次の日には大抵その感覚は変わっています。その時その瞬間のものではないと思うのです。だから、その時その瞬間の感覚は大事です。何か早口言葉みたいですが、感覚にはある種の鮮度みたいなものがあると思います。


無理に冷凍保存しようとすると、解凍した時にはまるで質の落ちたものになっている。だから無理に追ってしまわずに、今あるピッチピチの新鮮な感覚を存分に楽しんでほしいと思います。その時その瞬間の自分はその時その瞬間しかいない訳ですから。