旅する身体とは

身体感覚を育てる場。

身体感覚を育む事で、身体を嫌な対象から好奇心の対象へ。


身体というのは一番身近にあるにも関わらず、その存在は遠く感じている人が多いように思います。どこか他人事。まるで頭で体を管理しているような。


周りを見ると、「毎日の健康の為の運動」、「一日〇回するだけで体が変わる」など耳当たりの良い言葉を聞く事がよくあります。健康の為に意識を変えて何かに取り組む事はとても大事です。しかし、それでは身体が嫌な対象という根本的な部分は変わりません。裏を返せば不健康になるから身体を管理して健康を維持していないといけない。そうなってしまうと身体という存在は積極性を失い、常に受け身となってしまいます。


子供の頃の学校の勉強を例にとると、つまらない授業の内容は大体覚えていないと思います。「身に付いて」いない訳です。楽しい出来事はどうでしょうか。印象深く「身に付き」やすいです。身体にも似たような事が起きています。受け身の場合、心から身体へ「やれ!」と鞭打ってやっと動き出します。好奇心がある場合、やりたい!と心も身体も喜んでいるのが分かります。身体感覚とは、正しいかではなく、自分に合っているかを見つめてゆくものだと思います。


例えば、手を上げる動作一つとっても奥が深いです。普通、手はバンザイのように上げるでしょと思われるかもしれませんが、実は色々な上げ方があります。バンザイは肩のあたりに力が入りやすいですが、上げ方を少し変えるだけで背中から手を上げているような感覚になります。こうすると、肩のあたりの力みが抜けてきます。このような身体が喜ぶ上げ方などをキッカケに身体に好奇心をもち、身体感覚を育む場作りをしています。




身体は他人事?


昔、リラクゼーションサロンで働いていた時にふと疑念が浮かんできました。頻繁に来られるお客さんが、その都度コリや疲労が戻っている。これってどうなの、と。確かに身体のケアとしてリラクゼーションやマッサージに行くことは大事だと思います。しかし、私には何か根本的に違うのではないかと思ってしまいました。身体を管理しているような感じがしてしまったのです。自分の身体なのにどこか他人任せ。話を聞いていると、仕方がない、昔から悪いとどこか他人事(もちろんそうでない方も多くいました)。自分の身体を観るという事を放棄している様に感じてしまったのです。


それからは武術で学んだ身体の使い方の重要性を再認識しました。身体の負担を散らす、効率の良い身体の使い方。そしてヨガに出会い、身体の状態を自分でケア、調整する術を学んで、これらは共通して大事なのだと思いました。身体が固すぎて、動きが制限されたり、腰や膝の痛みがあるので動くこと自体が苦痛という方が結構いました。その方たちは動くという、人間にとって基本的なことも嫌だと思っていたようです。その原因は痛みだったり、不調だったり。そんな方たちを見ていて、自分で身体を観ていき、身体と仲良くなってもらいたいなと思いました。ヨガで今の自分の身体の状態を知る、そして少しずつ身体と仲良くなり、武術の身体の使い方で、部分的に負担のかからない身体を育てていく。そしてそれでも不調ならリラクゼーションやマッサージに行く。もしくは定期的にケアをする。そうすると、自分の身体を観るという習慣が生まれます。


身体の状態を自分で観ていく。


例えば、なんとなく不調だと原因が分からずそれが更に拍車をかけますが、原因が自分なりにも分かり納得しているとその日一日の過ごし方も大きく変わってくると思います。身体への観方が変わってくれば、自分が観ている世界も変わります。それ位身体って面白いものです。