先日、姪っ子(4歳)と甥っ子(2歳)と遊ばせてもらったが、よく動き回ってはしゃいで楽しかった。言葉も分かるので、ちゃんと伝えるとちゃんと伝わる。姪っ子はお姉ちゃんだからかは分からないが、甥っ子の事をかなり気にかけながら遊んでいたのが印象的だった。そして甥っ子も2歳だが、そこ危ないよ、とかお母さんのところへ行こうかと言うとちゃんと聞いて一緒に行く。
外で食事をしてはしゃいでいた時に、甥っ子が椅子と椅子の間に手をついて体操の吊り輪で支えているような状態でいたのには驚いた。ポテンシャルの高さが凄い!しかし、そこから落ちた時に頬をぶつけてしまい泣き出した。こっちへおいでと呼んで、椅子に座っている私の腿に乗せて、甥っ子の顔を正面に見ながら両手を頬に包み込むように当てて手当てをした。最初はわんわん泣いていた甥っ子が、だんだんと泣き止んできた。ここだ!と思ってぶつけた頬を大げさにさすりながら、痛いの痛いの飛んでいけーで自分の口の中に「痛み」を入れてムシャムシャ食べる振りをした。そうしたら甥っ子は笑い出して、またはしゃいでいた。多分手を当てていたままだったら、泣き止みはしたが機嫌は悪かっただろう。
最近は子供と接する機会がちょくちょくあるが、よく観ていると「間」と「場の雰囲気」によく感応しているのが分かる。ある時に何人か子ども同士で遊んでいて、1人の子が転んで頭か顔から地面にぶつかってしまった。その瞬間に周りの子供達は一気にしーんとなり「うわー、すごい転び方しちゃったなー、これは泣いちゃうなー」という「場の雰囲気」が出来上がり、それに加えて少ししーんとした「間」があってから泣き出した。この時のことに関して言えば、この「場の雰囲気」と「間」を上手く使えばこの子は泣かなくて済んだと思う。子供の場合は衝撃でショックが走り(痣ができるほどの怪我や打撲はもちろん泣きますが、ここでは転んだりした時の場合です)、それを周りの環境がそれは痛い!という雰囲気が出来上がり、本人もそうだ、痛いんだ!と認識してそれに答えるように泣き出す場合があるという事。もちろん全部が全部そうではないけれど、そういう時もある。そしてその瞬間を直近で何回か見て体験してしまったので、こういったことを書いている。
子どもを観察していると、色んなことが見えてきて本当に学びになる。転んで泣くまでの「間」や、どういう風に興味の方向づけをするか。例えばずーっと同じ場所でゴネていた時に、どう興味を他に持たせられるか。しかも子どもが自発的に動くように。ずーっと同じものに興味を持っていたと思ったら、次の瞬間にはもう他に興味が移っていたりする事も良くある。子どもは自然と言うけれど、大人の思い通りにならないという点では確かにそうだ。しかし、その自然に溶け込んで自分も楽しめるようになっていったらいいな。
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