落下と重さ

子供を抱っこしていると、だんだん下へずり落ちていって抱っこしなおすなんて事はよくある事だ。


そんな

『子供を抱っこしなおす』


事が気付きのキッカケになるなんて、これだから身体は面白い。
この感覚は、身体の中のタイムラグ問題を一気に解決してくれる糸口になると思う。


先日の身体操法は、落下する重さを使うという内容で稽古を進めていった。


膝の抜きや音無しの着地などを通して、稽古に来られている方が分かりやすいように進めていったのだが、いざ対人となるとどうも「間」がずれてしまう。


何かを持ち上げる動作をする時に、ヨイショとやってしまうと足で踏ん張ってしまい部分的な力みが目立つ使い方になってしまう。足裏を柔らかくして自分の重さが落下していくように上手く抜いていくと、それと同時に手は上がり、結果として持ち上げる物の本来の重さがフッと消える瞬間がある。



シーソーなどを思い浮かべると分かりやすい。



その「間」がなかなか分からないので、身体が沈み終わってから手を上げたり、不自然に同時にやろうとしている感が強かったりと苦戦している様子だった。それでも稽古が進むと少しずつ感覚が掴めてきたようだったが、子供を抱っこしなおす感覚と伝えておけば、もっと感覚も掴みやすかったかもしれない。


なぜ子供を抱っこしなおすという例えの方が伝わりやすいのかと言えば、子供は抱っこしている時点で一体化しているからだ。


一体化しているとは、ある種噛み合っている事。


噛み合わない歯車はそれぞれ別々に動いているだけ。歯車は噛み合って初めてその歯車たるやが発揮される訳だ。


体は物理的には地続きで繋がっているが、感覚という層ではぶつ切りになっている所が山ほどある。単に繋がっていれば良いという訳ではないが、ぶつ切り状態では力みが集中する箇所があり、怪我をしやすい体となってしまう。


子供を抱っこしなおすという動作の中には、重さを使う、瞬間的な無重力状態を生み出す感覚、そしてそれを活用できる身体感覚が既に備わっている事を意味する。


あまり書きすぎると私自身も混乱するので今日はここまで。