昨日は都内某所で甲野先生のアシスタントをさせて頂きました。
撮影という貴重な場での体験やお話、そして最近の術理に対する考え方をお聴きして思うところあり。
私は「接触」が1つ大きなテーマですが、先生のお話から改めて考えさせられる事がありました。いつも貴重な場に呼んで頂き、先生には感謝しかありません。
夜の瑜伽クラスでも触れましたが、人は地球にいる限りは何かしらに触れています。地面、衣類、食べ物、排泄物、腕や足を曲げた時の皮膚と皮膚、目を瞑った時の皮膚と皮膚。掌を合わせた時のひらの感覚。最近は空間にも触れる感覚があると感じます。
そんな感覚に目を向けていきますと、普段いかに雑に接しているかという事が分かってきます。雑に扱うとしわ寄せが来ます。部分を雑に扱うと、全体が封じられます。丁寧に観ていくと、自由を感じます。これが心の面にも大きく影響してきます。
例えば、ギューっと手を握られている感覚と、触れているところ全体で包み込むように握る感覚では、どちらが身体全体との繋がりを感じるでしょうか。試してみれば一目瞭然です。握るのは相手がいないとできませんが、そのギューっと握る感覚をいつのまにか自分自身の内に向けてやっている事もあります。
下手に頑張ってしまうというのは、このギューっと握る感覚を内に向けてやっているからだとこの頃は感じます。昨日はいつもの修正法を少し手法を変えて行いましたが、来てくださった方の反応は良かったです。何を変えたのか、それは無駄な力みを除いただけです。
結果は同じでも、どうアプローチするかで身体も心も違ってきます。山頂は同じでも、山道はそれぞれ違う、それぞれ違う景色を見て、違うことを感じる。その多様性を身体は教えてくれているような気がします。
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