武術稽古とヨガについて

※以前の記事を再掲しています。今は右手の中指は元気です。



右手の中指をグサッとやってしまいました。朝、寝ぼけ眼で雨戸を開けていたら、雨戸を中へ入れてそのままになっていた手に反対側の手で入れた後方の雨戸が激突。雨戸って噛み合うように細くなってるんですね。


それで寝ぼけ眼で傷口を見て、「あー、またやっちゃったか」と他人事のように思う。それから血が噴き出してきて、前回の顎のように(笑)
 

前回の顎の時もそうだったんですが、何故か痛みがない。不思議です。結構深くやったんですが、日が経っても痛みが出てこない。血はどんどん出てくるけど。新手の毒出しなのかな。


ここ最近ちょっとした気付きもあったので、その税金かもしれません。なので、こういった怪我があってもこれで済んで良かったと実感を通して思えるか、なんでこんな怪我を私が!と思うかで違ってきます。悲観的にばかりなって悲劇のヒロインになるのは個人的には嫌ですからね。


日々を納得して生きていきたいものです。それには実感を含めた想いがないと中々難しいのではと感じます。どんなにこれで済んで良かったと思っても、それによりかえってストレスが溜まったり、傷や雨戸に対してイライラしてたら意味ないですからね。顔で笑って心で泣いてではないですが、顔で笑って心で笑っていないとちぐはぐになってしまいます。これは頭で考える事が多い現代では特に顕著なのかなぁとフト思います。


どんなにビジネスマナーで礼儀作法を教わっていても、それに実感がこもってないとただの機械です。心がこもってないと言いますが、私には実感の方がしっくりきます。本音と建前という事ではそういった事も大事ですが、そればかりだとそれが本当だと思ってしまい、どんな状況でも対応が一辺倒になるような気がします。身体を整えていくと、この実感がこもりやすくなります。ヨガをやっていますとこの事がよく分かります。アーサナの練習をして、程よく全身が伸び、呼吸も深くなり統一体で上手く動けていると、シャバアーサナの時にたまにですが、喜びというか感謝というか、そういった感情や実感が湧き出てきます。これは、この感情を呼び起こそうと思って呼び出したわけじゃあありません。自然と湧き出てきたものです。無意識にあった感情がヨガによって出てきたという見方もありますが、それは今はどうでもいい事です。運動してスッキリして人と会うと、運動してない時よりその人に対する姿勢や感情は変わってくるはずです。嫌だなと思っている相手に対しても嫌悪感は少ないはずです(笑)心の中で念じて変わる事も勿論ありますが、身体を整えるように変えていくと自然と心や感情といったものも変わります。ヨガではそこをもう少し深く掘り下げています。嫌だなぁ、良かったという善悪の感情で判断しない。そのままに受け入れる。怪我をしてなんでこんな怪我を!とも思わないし、千円拾ったラッキーとも思わない。ただ、あぁ怪我をしたな、千円拾ったなと今現在の自分の状態を観ていく。あまり良い例えではないですが、そうやって思考パターンを変えていきます。感情に捉われてしまうとそこに対して執着が生まれ、一定の思考パターンでしか脳が働かなくなりやすいです。1番良い例はサザエさん症候群でしょうか。日曜の夜に、あぁ明日からまた仕事か、と毎週のように負の連鎖に陥る。こういった思考パターンは、習慣化してしまうと中々抜け出すのは難しいものです。難しいので、旅行や飲みに行ったりと所謂気分転換する訳です。しかしそれが長く続けば良いが、思うように長続きせずいつもの負の連鎖にハマってしまう。ヨガはここを変えていくにはかなり良いツールです。変化を観ていく事で、より捉われにくい、つまりその当事者ではなく良い意味で他人事のようになれる。あくまで良い意味でです。ここを履き違えるとただ単に何も考えていない人となるので注意ですが。



何を話していたんだか分からなくなってしまいましたが、とにかく色々と手放していくと(物に限らず思考や感情も)新たに見えてくるものがあり面白いです。それが武術やヨガを学び、続ける事で感じる事の1つです。


 
古武術的身体の使い方については、日常生活や普段の動きとは逆の考え方に基づいた動き、武術の技法等、幅広く紹介できたらと思います。


一般的な武術のイメージというと、押忍!とか、蹴ったり殴ったりと痛いイメージがありますが(極端かな^^;)、ここではそう言ったことではなく、身体の探求を深めていくものとしての武術の動きをしていきます。


力をグッと入れて強くするのではなく、抜いていって強くする。グッと踏ん張るのではなく、踏ん張らない動きを育てる。相手と自分の距離感、接触感覚を考える。これはヨガにも活きますし、ヨガも武術に活きます。


立ったり座ったりもそうですが、日常生活の動き(他には歩いたり走ったり持ったり握ったり触れたり支えたり引いたり押したり)が部分的に力んでいたりすると、それが毎日続くわけですから当然偏りや詰まりもひどくなります。
いくらマッサージやヨガをしても、日常生活に落とし込まなければ根本的な解決は何1つしません。辛くなったらマッサージして貰えばいいや、凝ってきたらヨガ行ってスッキリしよう。もちろん、たまのメンテナンス目的や疲労の限界がきたら仕方がないのですが、自分で色々やってみてそれでも無理でって方は少ないのではないかと思います。疲れたら誰かに診て貰えばいいやとすぐに考えるのは、自分の身体を何か車とか自転車とかそう言ったものになぞらえているように私は感じます。壊れたから修理だそう位の感覚で。
でも自分の身体です。まず自分の感覚で観ていく事が大事ではないでしょうか?(もちろんそれが大病を患っていたり、不慮の事故で出来ない方がいると思います。ここでは普段は健康でいるのに、身体的精神的不和があるとすぐに他に頼ってしまう人の事を言っています)



日常生活の動きについてもそうです。あ〜今肩が上がっていたな〜、腰に負担かかってるからこういう動きだと負担かからないかなぁ。そう考えている人は殆どいないのではないでしょうか?この古武術的な身体の使い方をキッカケに、自身の身体の使い方を見直して、より自分が楽に納得する生活を送って行って欲しいと思います。