このところ、判別性感覚と原始感覚のというキーワードが稽古の中にある。これは元々は指圧やマッサージを学んでいて出てきたワード。具体的な説明になると長文になるのでしないが、簡単に言うと…あ、簡単には言えない、今のところ(笑)以下、坐禅に関するところで原始感覚について触れているので、気になる方はそこをお読み下さい。
とにかくそのワードから連想される身体感覚が武術稽古やヨガ、マッサージリラクゼーションにも共通して、それらの点が線になってきた。
それがハッキリしてきたのが、この間行った坐禅会だった。
お寺での坐禅会は人生で初めて。あの空間でやる坐禅はやはり何かが違った。この坐禅をした経験も学びになったが、それ以上に僧侶の方のお話が、今の私にはとてもしっくりきて色々繋がる事があったので本当にこのタイミングで行ってよかったなーと思った。
身の調えかたや、気持ちの調え方、呼吸の調え方をお話し頂き、得るものが多かった。中でも身の調え方は、心地よい安定感のあるものだった。今まで忘れていたものを思い出させてくれるような、そんな感覚になった。片方の足を腿の手前まで引いて乗せ、足裏が上を向いているようにする。この状態での半跏趺坐でも良い。それからお尻を後ろへ引き骨盤を立てる。お尻と両膝で支えている感覚。お寺の方からこの様な指導があり、試していると今までにない様な安定感があってビックリした。それから最初の坐禅が終わり脚や腰が少し痛くなったが、この時にフト脚や腰も原始感覚でいれば良いのではないかと思い試しているとやはりその通りで、脚や腰の境界線がだんだんと馴染んでいき次第になくなり一体となっている感覚になった。これは始め、印を結んで瞑想していてしばらく経つと、その親指同士の境界線がなくなり、指同士がくっついているのか離れているのか分からない事があった。これは、今思えば原始感覚になっていた為に境界線が無くなっていたのだと思う。坐法に関してとても大きな気付きを得た1日だった。
この坐禅会から境界線が無くなるというのは原始感覚になっている状態だ!と思って、それを武術稽古やヨガのアーサナ(ポーズ)やマッサージリラクゼーションにも応用してみる。
ついこの間気付いだばかりなので、まだまだ研究が必要だが、得物に関してもやはり境界線が無くなる感覚は1つ大事なのではないかなと感じ始めた。
そういった感覚も3/17(土)今週の土曜日にやる「杖術で身体感覚を拓く」でもお伝えできればと思いますので、気になる方は是非お越し下さい!詳細はこちらから。
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